治病求本

=病を治するには必ずその本を求む=

『治病求本』漢方基礎講座第3回

漢方基礎講座第3回

八網弁証

漢方、中医学の診断と治療法決定の過程を弁証と言いますが、その中で最も基礎的で重要なものは八綱弁証です。傷寒論で論じられる六経はその簡略型と言えるでしょう。

八綱の八には諸説あります。表裏、熱寒、実虚で8通りに分けられる。あるいは燥湿を加えて八つの項目があるなどです。それはさておいて、八綱弁証の目的というか、これにより導き出されるのは病人・病気のタイプ分けです。中華思想の根幹は陰陽です。要するに陰と陽のどちらに属するかということが基礎になる思考法です。

表は陽、裏は陰。熱は陽、寒は陰ということです。ただ、あくまで相対的な比較の上で成り立っています。

・表裏

まずは表と裏です。

朝日に向かって四つん這いになり顔を上げた時に日が当たっているところが表で影になっているところが裏だと言われていますが、皮膚および皮膚に近い体の表面、外側の方が表で、内臓など体の奥にあるものが裏と考えれば良いでしょう。基本的に皮膚病は表証で胃潰瘍は裏証です。こうした病気の発症部位、原因部位によって表・裏を分ける場面があり、またもう一つ表裏には、急性疾患か慢性疾患かの分類も含まれます。

急性疾患は表証。慢性疾患は裏証です。

少しややこしいのは、何ヶ月、何年と経過したアトピーなど慢性皮膚炎は、病変部位は表ですが裏証として扱います。逆に慢性疾患でも急激に悪化する時や強い症状が出ているときは表証の治法が用いられることもあります。

まとめると、

表証:急性疾患、慢性化していない体表面付近の症状、疾患

裏証:強い急性様症状を呈していない慢性疾患

ということになります。

 

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漢方基礎講座第2回 四診

漢方基礎講座第2回

四診

漢方・中医学での診断は病名を決めるのではなく証を求めるためにあります。証はただ単に症状や病状を意味する言葉ではなく、病人の状況、状態、病気の性質、強さ、深度などを分類、測定するものです。

近現代的医学の診断方法が役立つこともありますが、伝統的な思考法に基づく方法を用いることで誤診・誤治を防げます。

漢方独特の診断方法を四診(ししん)と言います。

望(ぼう)、聞(ぶん)、問(もん)、切(せつ)の四つで成り立ちます。

 

・望診→聞診→問診→切診の順で優先順位があり、矛盾が生じた場合はより左側の判断が優先されます。

 

望診:これは診断者、治療家側が目で見て得られた情報により判断する事です。

   顔色や病変部位の色、舌の状態、肌の状態など。最も優先される情報です。

聞診:声の大きさなど耳から得られる情報、臭いもここに含まれる。

問診:通常用いられる問診とほぼ共通しますが、尿などの排泄物から得られる情報や、血液検査などのデータもここに含まれます。

切診:脈診、腹心など手を触れて得られる情報

 

・体そのものから得られた情報は、排泄物、分泌物から得た情報より優先される。

・体全体から得られた情報は、体の局部から得られた情報より優先される。

・上部の情報は下部の情報より優先される。

 

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漢方基礎講座第1回

基礎理論 =証とは何か=

漢方基礎講座第1回 分類記号化

漢方医学は100年ほど前まで人類史上最高の科学であったと言えますが、その思考法は現代科学のそれと完全に重なるものではなく、漢方を理解し誤らずに用いるには、その独自の思考法を用いなければなりません。言い換えれば漢方を理解するには、普段我々が用いているのとは違う、もう一つの科学が必要になります。

漢方理論は難しいものではありません。極めて単純明快です。ただ漢方治療に関わる多くの方、いや一部かもしれませんが、その単純明快さを知らないために迷路に陥っていることも多いです。ここでは最も簡単な漢方治療の基礎を何回かに分けて解説したいと思います。

分類と記号化

最も基本となる思考法 ・二者択一の分類

陰陽図



人が物事を考えるとき、理解するとき、もっとも単純化すれば、それはどちらか、 右か左か?黒か白か?生か死か?どちらか一つを選ぶ二者択一を行うだけになります。 複雑な、曖昧に見えることも、二者択一がいくつも重なりあっているだけにすぎない。 コンピューターが理解できるのは0と1の二つの数字だけであり、 この0と1を繰り返し重ね合わせることで複雑な作業をこなすようにできている。 人間の脳も突き詰めていけば、ONかOFFか、あるのかないのか、神経細胞が繋がって いるのかいないのか、二者択一の繰り返しを行っているだけ。

・記号化

熱・寒
実・虚
表裏 肝・腎・脾

などは漢方独自の記号、専門の言葉として受け入れてください。

弁証と診断

西洋医学では病気を治療する際、まず診断して病名を決めます。

そしてその病名に対応する治療が行われます。

症状があっても病名が決まらなければ治療は行えないことがあります。

診断ー病名確定→病名ー治療法

漢方では弁証と言い、まず証を決めます。証が決まればそれに対する治療が行われます。

弁証ー施治

証とは病名や症状ではなく、体の偏りや病気の深度など病人の状態を分類位置づけるものです。病人の住所のようなものです。そしてその住所に、対応する治法があるわけです。

(秀峰堂中医学研究所講義録より)

 

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漢方と歴史背景

漢方薬という言葉は言うまでもなく日本語です。漢の方から来た薬という意味でしょう。

漢はご承知の通り紀元前後200年ごろの中国の国家です。日本に漢方が伝わった時代は定かではありませんが、漢代の医学書が日本に伝わり、それが日本の漢方の基礎になったことは間違いないでしょう。『傷寒論』,『金匱要略』はまさに漢時代末期に書かれ、今でも日本漢方の中心にあります。この2冊の書物には多数の処方が記されており優れた処方ばかりです。現在でも使用できる多数あります。

さて、一方で現在の中国の伝統医学ですが、これは中医学と呼ばれ、漢代より遥か前、4000年以上も前から現在まで脈々と受け継がれ、また進化し進歩し続けています。長い日中の歴史の中で断片的に伝わっては来ていたと思います。ただその理論体系全体が広まってきたのは、ほんの数十年ではないでしょうか、湯液、鍼灸推拿が中医学の三本柱になります。湯液は煎じ薬、漢方薬のことです。推拿(すいな)は日本で言う按摩、マッサージのような施術です。

かなり最近まで推拿の代わりに気功と言う言葉が使われていました。気功は個人で行う健康術ですね。かなり曖昧な伝わり方をしていたのです。もちろんどんなに修行しても気功で人を倒したり、飛ばしたり、ましてやカメハメ波を出したりはできません。

ここで気になるのは、日本漢方は漢時代の処方、理論を今も大事にしています。この2千年の間に中医学は二千年に見合う程かは別として、相当な進歩を遂げています。湯液の生薬使用量も、利用する生薬の種類、数と言った単純なことでも異なっています。

人間の体ですから、二千年でそんなに進化はしないです。昔の薬でも同じ効果はあるはずです。ただ、問題なのは環境とか食事とか、その違いはスマホがない頃と今との比較の程度ではないです。漢時代末期、歴史に詳しい方はご承知の通り、中国は三国志の時代です。戦乱と飢餓の時代といえます。ごく一部に裕福な人はいたでしょうが、多くは戦争に駆り出され瀕死の傷を負い、運良く生き延びても食べるものもない。日常的にそう言うことが起きている時代に、健康とは、病気とは、どう考えたでしょう。死か生か・・・そんなこと考えたでしょうか?分かりません。ですが、その時に考えるのは、今辛いか、痛いか、苦しいかという事ではなかったかと思います。その時に医学が重視したことは現在と同じでしょうか?

もう一つこの時代の医学の大敵は現在もそうですが、それ以上に感染症です。ウィルス性の流行性疾患の大半は中国が起源になっているのではないかという説もあります。過去のSARSもそうですが今回の新型コロナも、おそらく中国が起源とされています。『傷寒論』はまさにこのウィルス性流行疾患への対応が記された書物です。病邪の侵入とその防衛ラインにより症状と処方が段階的に記されています。非常に分かりやすく書かれています。漢文で独特と言い回しですので現代人、日本人には分かりづらいですが、当時の書物にしては読みやすいもののようです。これは『傷寒論』が医者や専門家を対象に書かれたのではないかという推測にたどり着くことができます。病気への対応策を段階的に症状、深度、簡易な判断基準で記されています。1種のガイドブック、家庭で使える発熱時の対策集みたいな位置付けだったのではないかと思います。かつて私の師でもある台湾出身漢方家が、『傷寒論』は戦乱の時代に家督を継げない次男坊以下は田畑も持てず兵隊になるしかなかったけれど、病人、怪我人ばかりの時代で医者は不足しています。当時は医者の身分は低く、まさに田畑も持てないけど戦争には行きたくないものにとっては適職だったといえます。しかし、それなりに勉強しなければならない、『傷寒論』の著者、張仲景は長沙という地の太守です。今の日本で言えば県知事のような立場の役人です。名医だったという説もありますが、確かなのは役人だったことです。当時の中国の医師は同じ場所にとどまらず各地を巡っていたことが多く、身分は低く、ましてや太守などの高位につくことはないはずです。三国志の呉の皇帝になった孫権の父親の孫堅の役職も長沙の太守でした。大軍勢を率いて洛陽の平定に向かえるような人と同じ立場の人が医者という子pとはないでしょう。

地方官僚のトップが専門家を集めて平易で読みやすくわかりやし医学書、治療ガイドブックを編纂させたというのが『傷寒論』の成り立ちではないかと思います。もちろん私論です。ご批判は承知の上です。ご容赦ください。

さて、『傷寒論』の医師大量養成計画を裏付ける事柄として、当時の理論体系の完成度からしても簡略化されすぎている点がります。『傷寒論』では病勢、病位が同軸で語られてしまっている。同じ疾患の経過で病性切り替わってしまったかのように受け取られかねないところがある。この辺りはまた機会をあらためて触れていきたいと思います。今回はこの『傷寒論』的な手法、考えをいまだに中心にしている日本漢方のあり方について再考したいのです。

このブログの目的は、正しい漢方、少なくとも間違いのない漢方薬の普及にわずかでも貢献すことです。日本の漢方薬の使われ方は多くの場面で間違っています。特に医療機関、医師ですね、なんでもう少し勉強してから使わないのでしょうか?保険適応があれば良いというものではないでしょう。保険を使うことに見合う価値のある薬かどうかを決定づける権限は最終的に現場の保険医が持っているんです。誤った使い方を続ければ、効果が乏しいばかりか副作用ばかりで、やがて全てを失うことになるでしょう。

日本の漢方が漢の時代から進歩しないのは、一つには歴史的な背景もあるでしょう。江戸時代の鎖国やその後の日中の関係。明治以降に東洋医学が置かれた立場そして日本の漢方自体の衰退。エキス剤保険適用時の処方選定。一つ一つにさまざまな背景があるでしょう。それぞれ紐解いていけば、いろいろな闇があるのだと思いますが、ここでそれに触れても仕方がないので、本質に立ち返れば、何のために薬はあるのか、なぜ漢方薬を使うのか?

それは困っている人をより安全に負担をかけずに病気を治すためだと思います。

傷寒論』,『金匱要略』の処方、エキス剤で十分聞いているよという方もいるでしょう。

もちろん『傷寒論』,『金匱要略』に載っている処方は良いものです。今でも使えるものが多いです。しかし、効かない人も同じぐらいいるんじゃないですか?ひどくなる人も、

西洋医学は確率論です。何%かの人がよくなり、何%かの人は治りません。それを当然としています。これは人を見ず病気だけを見ているからです。

ここでもあえて漢方と言いますが、漢方に確率論はありません。

証=治方 ですから、千差万別の中から証が決まれば、千差万別の中の対応した治方が決まります。100%効果があります。

効かない場合は証を間違えている。地方を取り違えている。いずれにしても誤診・誤治ということです。それから証は決まっても治方がないということはあります。治しようがない場合です。

中医学は『傷寒論』,『金匱要略』以降もずっと進歩を続けています。百年ほど前までは人類の医学の最高峰にあったと言っても過言ではないでしょう。しかし、その後の機械工学、化学合成技術等の進化による西洋医学の急激な進歩によって多くの分野でその地位を譲ってきました。西洋医学の進歩は資本主義国家を中心になされています。商業的背景を持つためか特定の分野が発展しやすいです。癌や脳血管、循環器障害、・・・、

さまざまな分野で進歩はしていますが、便秘、不眠、貧血、低血圧、アレルギー、不妊などあまりお金をかけられない分野や技術進歩が治療法をミスリードしてしまったような分野は漢方の方が効果を上げています。

西洋医学はすごい分野はすごいのですが、ムラがあるというか隙間が多い。漢方はずば抜けている分野があるというより、満遍なく平均点をあげているという感じです。

これからも漢方薬が果たすべき役割はあります。しかし、正しく使わなければ危険なこともあります。漢方薬には漢方薬の使い方があり、それによってのみ正しく使われます。数千年前の最先端科学が生み出したものであり、現代の科学とは異なるもう一つの科学思考を身につけることで初めて見えてくるものがあります。

1日も早く本当の漢方薬の効果を実感してください。

はじめに。

治病求本 
病を治するには必ず本を求む
病気には、かならず症状と症状を作り出す本質とがある。
病気を治すためには、必ず病気の本質となる物を探らなければならない。

漢方は常に病気の治癒を目指してきました。
単純な対症療法ではなく、いかにすれば人は健康でいられるかを考え、
病気の原因を探るのではなく、なぜ病気になったのかを追い求めてきました。
現代の医学は万能ではありません。
治せない病気はたくさんあります。 同じように漢方薬でも治すことが不可能な病気がたくさんあります。 しかし、漢方は万能です。
万能という言葉を使うのは間違いかもしれませんが、 漢方は人に起きうる全ての病気、症状に対処する事が出来ます。 例えば、腰が痛い、あるいは微熱が続くといった症状でも良いでしょう。 病院へ行き様々な検査をしても分からず、
“異常はありません”と言われる
これはよくある事です。しかし実際に辛い症状があるのです。 漢方、中医学では自覚症状があれば、その時点で治療法が決定されます。 患者さんが痛いと言えば、痛いんです。 明らかに治療対象となる症状があるのですから、
病気の数、患者さんの数だけ治療法はあるのです。

漢方・中医学は学問ではありません。人類が現在用いている科学とは別の、もう一つの科学的思考を背景に完成された理論体系により作られた治療技術です。

このブログは漢方に対する正当な認識が少しでも広まればと思い再開しました。過度に漢方を称賛、推奨するわけではなく、正しい知識、間違いのない用いられ方を願って運営していきます。

 

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治病求本、再開しました。

はじめまして、そして、お久しぶりです。

しばらく休止していた秀峰堂中医学研究所の活動を再開します。

漢方薬関係の情報発信と共に漢方相談も行いますのでよろしくお願いします。

漢方相談はココナラで行っていますのでぜひご利用ください。

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令和四年十二月一日

         秀峰