治病求本

=病を治するには必ずその本を求む=

漢方と歴史背景

漢方薬という言葉は言うまでもなく日本語です。漢の方から来た薬という意味でしょう。

漢はご承知の通り紀元前後200年ごろの中国の国家です。日本に漢方が伝わった時代は定かではありませんが、漢代の医学書が日本に伝わり、それが日本の漢方の基礎になったことは間違いないでしょう。『傷寒論』,『金匱要略』はまさに漢時代末期に書かれ、今でも日本漢方の中心にあります。この2冊の書物には多数の処方が記されており優れた処方ばかりです。現在でも使用できる多数あります。

さて、一方で現在の中国の伝統医学ですが、これは中医学と呼ばれ、漢代より遥か前、4000年以上も前から現在まで脈々と受け継がれ、また進化し進歩し続けています。長い日中の歴史の中で断片的に伝わっては来ていたと思います。ただその理論体系全体が広まってきたのは、ほんの数十年ではないでしょうか、湯液、鍼灸推拿が中医学の三本柱になります。湯液は煎じ薬、漢方薬のことです。推拿(すいな)は日本で言う按摩、マッサージのような施術です。

かなり最近まで推拿の代わりに気功と言う言葉が使われていました。気功は個人で行う健康術ですね。かなり曖昧な伝わり方をしていたのです。もちろんどんなに修行しても気功で人を倒したり、飛ばしたり、ましてやカメハメ波を出したりはできません。

ここで気になるのは、日本漢方は漢時代の処方、理論を今も大事にしています。この2千年の間に中医学は二千年に見合う程かは別として、相当な進歩を遂げています。湯液の生薬使用量も、利用する生薬の種類、数と言った単純なことでも異なっています。

人間の体ですから、二千年でそんなに進化はしないです。昔の薬でも同じ効果はあるはずです。ただ、問題なのは環境とか食事とか、その違いはスマホがない頃と今との比較の程度ではないです。漢時代末期、歴史に詳しい方はご承知の通り、中国は三国志の時代です。戦乱と飢餓の時代といえます。ごく一部に裕福な人はいたでしょうが、多くは戦争に駆り出され瀕死の傷を負い、運良く生き延びても食べるものもない。日常的にそう言うことが起きている時代に、健康とは、病気とは、どう考えたでしょう。死か生か・・・そんなこと考えたでしょうか?分かりません。ですが、その時に考えるのは、今辛いか、痛いか、苦しいかという事ではなかったかと思います。その時に医学が重視したことは現在と同じでしょうか?

もう一つこの時代の医学の大敵は現在もそうですが、それ以上に感染症です。ウィルス性の流行性疾患の大半は中国が起源になっているのではないかという説もあります。過去のSARSもそうですが今回の新型コロナも、おそらく中国が起源とされています。『傷寒論』はまさにこのウィルス性流行疾患への対応が記された書物です。病邪の侵入とその防衛ラインにより症状と処方が段階的に記されています。非常に分かりやすく書かれています。漢文で独特と言い回しですので現代人、日本人には分かりづらいですが、当時の書物にしては読みやすいもののようです。これは『傷寒論』が医者や専門家を対象に書かれたのではないかという推測にたどり着くことができます。病気への対応策を段階的に症状、深度、簡易な判断基準で記されています。1種のガイドブック、家庭で使える発熱時の対策集みたいな位置付けだったのではないかと思います。かつて私の師でもある台湾出身漢方家が、『傷寒論』は戦乱の時代に家督を継げない次男坊以下は田畑も持てず兵隊になるしかなかったけれど、病人、怪我人ばかりの時代で医者は不足しています。当時は医者の身分は低く、まさに田畑も持てないけど戦争には行きたくないものにとっては適職だったといえます。しかし、それなりに勉強しなければならない、『傷寒論』の著者、張仲景は長沙という地の太守です。今の日本で言えば県知事のような立場の役人です。名医だったという説もありますが、確かなのは役人だったことです。当時の中国の医師は同じ場所にとどまらず各地を巡っていたことが多く、身分は低く、ましてや太守などの高位につくことはないはずです。三国志の呉の皇帝になった孫権の父親の孫堅の役職も長沙の太守でした。大軍勢を率いて洛陽の平定に向かえるような人と同じ立場の人が医者という子pとはないでしょう。

地方官僚のトップが専門家を集めて平易で読みやすくわかりやし医学書、治療ガイドブックを編纂させたというのが『傷寒論』の成り立ちではないかと思います。もちろん私論です。ご批判は承知の上です。ご容赦ください。

さて、『傷寒論』の医師大量養成計画を裏付ける事柄として、当時の理論体系の完成度からしても簡略化されすぎている点がります。『傷寒論』では病勢、病位が同軸で語られてしまっている。同じ疾患の経過で病性切り替わってしまったかのように受け取られかねないところがある。この辺りはまた機会をあらためて触れていきたいと思います。今回はこの『傷寒論』的な手法、考えをいまだに中心にしている日本漢方のあり方について再考したいのです。

このブログの目的は、正しい漢方、少なくとも間違いのない漢方薬の普及にわずかでも貢献すことです。日本の漢方薬の使われ方は多くの場面で間違っています。特に医療機関、医師ですね、なんでもう少し勉強してから使わないのでしょうか?保険適応があれば良いというものではないでしょう。保険を使うことに見合う価値のある薬かどうかを決定づける権限は最終的に現場の保険医が持っているんです。誤った使い方を続ければ、効果が乏しいばかりか副作用ばかりで、やがて全てを失うことになるでしょう。

日本の漢方が漢の時代から進歩しないのは、一つには歴史的な背景もあるでしょう。江戸時代の鎖国やその後の日中の関係。明治以降に東洋医学が置かれた立場そして日本の漢方自体の衰退。エキス剤保険適用時の処方選定。一つ一つにさまざまな背景があるでしょう。それぞれ紐解いていけば、いろいろな闇があるのだと思いますが、ここでそれに触れても仕方がないので、本質に立ち返れば、何のために薬はあるのか、なぜ漢方薬を使うのか?

それは困っている人をより安全に負担をかけずに病気を治すためだと思います。

傷寒論』,『金匱要略』の処方、エキス剤で十分聞いているよという方もいるでしょう。

もちろん『傷寒論』,『金匱要略』に載っている処方は良いものです。今でも使えるものが多いです。しかし、効かない人も同じぐらいいるんじゃないですか?ひどくなる人も、

西洋医学は確率論です。何%かの人がよくなり、何%かの人は治りません。それを当然としています。これは人を見ず病気だけを見ているからです。

ここでもあえて漢方と言いますが、漢方に確率論はありません。

証=治方 ですから、千差万別の中から証が決まれば、千差万別の中の対応した治方が決まります。100%効果があります。

効かない場合は証を間違えている。地方を取り違えている。いずれにしても誤診・誤治ということです。それから証は決まっても治方がないということはあります。治しようがない場合です。

中医学は『傷寒論』,『金匱要略』以降もずっと進歩を続けています。百年ほど前までは人類の医学の最高峰にあったと言っても過言ではないでしょう。しかし、その後の機械工学、化学合成技術等の進化による西洋医学の急激な進歩によって多くの分野でその地位を譲ってきました。西洋医学の進歩は資本主義国家を中心になされています。商業的背景を持つためか特定の分野が発展しやすいです。癌や脳血管、循環器障害、・・・、

さまざまな分野で進歩はしていますが、便秘、不眠、貧血、低血圧、アレルギー、不妊などあまりお金をかけられない分野や技術進歩が治療法をミスリードしてしまったような分野は漢方の方が効果を上げています。

西洋医学はすごい分野はすごいのですが、ムラがあるというか隙間が多い。漢方はずば抜けている分野があるというより、満遍なく平均点をあげているという感じです。

これからも漢方薬が果たすべき役割はあります。しかし、正しく使わなければ危険なこともあります。漢方薬には漢方薬の使い方があり、それによってのみ正しく使われます。数千年前の最先端科学が生み出したものであり、現代の科学とは異なるもう一つの科学思考を身につけることで初めて見えてくるものがあります。

1日も早く本当の漢方薬の効果を実感してください。